心の枷、行動の枷。

仕事でのストレスを、家に帰ってから自由気ままに振る舞うことで発散していたようだ、ということに気がついた。誰の目を気にせずに、自分の思うがままに振る舞う。特に、お風呂上りに自分の好きな恰好でいる、というのが最高のストレス発散だったようだ。誰にも邪魔されず、何にも縛られないというのが、心の栄養に必要だったみたい。

今はそれ、できないもんなぁ。気を遣わなければいけない相手ができてしまった。
我慢して我慢して・・・。自分のやりたいようにできないのがストレス。自分の行動が縛られるのがストレス。

嫌なことが待ち構えてたりあったりした時に、100%1人になれないのもつらい。
私は嫌なことがあった時に、他人を拒絶して1人になることで、心の回復を図っていたようだ。

常に一緒に何かをやっている必要はないと思う。常に行動を共にする必要もない。
私にだってタイミングがある。今は1人の時間を過ごしたい、ってタイミングが。

ストレスの証である口周りのニキビが増えた。

不満があるから会話をしたくない。

切り離さずにズルズル引きずってたら、そりゃ段々重たくなってくるよね。最初は少しでも、どんどん増えてくるもの。切り離すって大事だ。

「ちゃんとせねば」って、人の目があるとどうしても思ってしまう。だから必要以上に気を張りすぎているのかもしれない。あと、意地っ張りというか意固地になっているというか。自分から折れたら負け。自分が先に折れたら負けだと思ってる。

そもそも私は自分のことで精一杯。自分のことしか考えられない。相手のことを考える余裕なんて、少なくとも今はないなぁ。だって、この1年間は、自分が生きるか死ぬかの瀬戸際にいるから。相手のことを考えられる余裕が出てくるのは、休みの日だな。強いて言うなら。平日はムリ。

常に人の目があることが苦しい。
時間とお金と空間を、自分の自由に使えないことがストレス。躊躇してしまう。その「躊躇してる自分」を知るのが、またストレス。

いつの間にか、ゴミ捨てが私の担当になっている。私もゴミを捨てるからいいんだけど、なんか釈然としない。私がゴミ捨てをやる代わりに、あなたは何をやってくれるんだろう。
名もなき家事全般、気づいた方がやることが、ほぼほぼ私の身にふりかかってる気がする。いいんだけどさ。「私がやる」のが当たり前だと思われても困る。
こっちは掃除してるのに、スマホで動画見ながらゲラゲラ笑っているのを見た時は、怒りを通りこして悲しくなったよ。確かに私は毎日掃除機をかける、と言った。が、私はあなたの召使でもなんでもない。

毎日やってることがほぼ同じ。寝てるか、起きてるか、食べてるか、仕事してるか、スマホをいじっているか。平日も休日も。なんなら腰が痛くて動けなくても、そんなことがなくても。スマホがあるなら生きていけるなら、私がいなくてもいいんじゃない?

夫婦らしいことって一体なんだろう。一緒に暮らしていれば、自動的に夫婦になるんだろうか。平日時間が合わないなら、休みの日にせめて会話でもした方がいいんだろうか。今は、会話がない。時間が交わらない。ただの同居人。
休みの日に出かけても帰ってくるのが遅いなら、平日も早く帰ってこようという努力の片鱗すら見えないのなら、夫婦になろうという気はあまりないのだろうか。

思っていることを相手にぶつければいい。が、それをするだけの気力がない。相手に向き合うだけの熱量がない。気力がない。なんなら、そっちがその気なら私も今のままでいいや、って感じ。(こういうところが意固地だ)
大事な話は、全て私から切り出している気がしてならない。
だから、疲れた。だから、もういいや。

ベッドで寝たのに、朝起きたらものすごく疲れてた。肩は凝ってるし、足はだるいし。
床でそのまま寝てしまったのに、朝起きたらとても爽快だった。疲れもとれてる。
一緒のベッドで寝るのがプレッシャーだ、ということに気が付いて、愕然とした。

この1年(あと10ヶ月)はRPG

4日ごとに書こうと決めたけど、「今日は書く日」になぜか書けないことが多い。
まあ、そんなもんか。2日ぐらい遅れても、最終的に書けていればいいんです。

この1年は、私という人間の人間改革だ。日々起こる出来事をどう捉えるかは、私の問題。同じ事が起こっているのに、無事な人間もいるわけだから。みんながみんな潰れてるわけじゃない。だから、ボス(氷の女帝)とラスボス、なんなら中ボスに問題の全てがある(もちろん全く問題がないわけじゃない)わけではなく、やっぱり私の捉え方なんだよね。目の前に現れた無職の箱に、何色を塗るのか。

目標。
 軽く考える。起こる出来事を楽しむ。

目標を達成するためにどうするか。
 前提:私は100%仕事でできているわけじゃない。
    私を構成する成分は、100%仕事じゃない。
 だから、①何かを言われても、自分を責めない。気にしない。気に病まない。
全ては、タイミングと気に入るかどうかの問題だから。(特に氷の女帝は。)タイミングと相手が気に入るかなんて、私の手に負えることじゃない。
②深刻に捉えない。
③ネガティブなことを言われても、私が責められているわけじゃない。ってのを忘れない。

つまり、RPGなんだよね。ボスは氷の女帝。中ボスは各課の補佐。ラスボスは部長。
相手を倒すというよりかは、相手から何かをもらうというミッションをクリアする系。私は別に、相手を打ち負かしたいわけじゃないからね。
レベルでいくと、私はLv.1かな。ボス級に初期装備で挑んでいく、若干無理ゲー。
ミッションをクリアするために、ちまちまと策を練っていくわけですよ。必要な物を準備したりするわけですよ。で、傷ついたりボロボロになったりしながら、最終的にはミッションをクリアするという。そんな毎日。

心に覆いかぶさった重い鉄板を、180度ひっくり返せるように。ひっくり返せたら、人間革命成功だ。

心の底から思っていなくてもいいから、面白おかしく書いていこう。そしたら、いつの日か、軽く楽しく考えられるようになる。日々の心がけあるのみだなぁ。

約2週間

結婚生活は「つくる」もの。「つくる」努力をしなければ、何にも始まらないんだなぁと思う日々。つくっても、維持していく努力をしなければ、きっと一瞬で崩れ去るんだろうなぁとも思う。

私は自分の時間の流れで生きている。相手も、多分自分の時間の流れで生きている。
私はその流れを変えるつもりがあまりないし、相手もきっとないんじゃなかろうか。そうすると、お互いの時間が交わらない。だから、それぞれ好き勝手生きているように私には見える。夫婦っていうよりも、ただの同居人。

どこかでお互いの時間の流れが交わるようにしよう、という提案もあって然りだけど、積極的にそうしようと思わない自分がいる。交わらなければ交わらないでいいんじゃない?って。でもそうすると、何のための2人暮らしだって話になるけど。

1人の時間が増えれば増えるだけ快適だから、遅くなるならなるで構わないと思うようになった。部屋が広いのは、やっぱり快適だから。
「これなら1人暮らしと変わらないじゃん」という怒りを取るか、そんな怒りは無視して部屋の快適さを取るか。

掃除も洗濯も、より快適に私がここで暮らすためにしている。相手のためとかじゃなく、私のため。

このままでいいのかなぁと漠然とした思いはあるけれど、その思いを形にして相手にぶつけるだけのエネルギーがない。気力がない。
私はそこまで望んでいないから、自分からは動かない。だな。

 

当たり前のこととは。

私はゴミを捨てる準備をした。今、ゴミ箱にはゴミ袋がセットされていない。それを見ている貴方はなにをするべきか?
当然、新しいゴミ袋をセットしてくれるだろう、と私は思った。新しいゴミ袋をセットするだけの時間の余裕もあると思った。でも、セットしてくれてはなかった。

私は、ゴミを捨てたら新しいゴミ袋をセットするのは当たり前だと思っていたから、それをわざわざ相手に頼まなくてもやってくれるものだと思ってた。でも、相手にとっては、ゴミを捨てたら新しいゴミ袋をセットするのは、当たり前のことではなかったみたい。

自分の当たり前が相手にとっては当たり前ではなかった、という良い教訓。
やってほしいことは、きちんと言葉にしないと相手に伝わらないんだなぁ。

3日間の所感。

1人暮らしと今とで、生活があんまり変わらない

掃除も洗濯もしている。部屋の面積が広くなった分、ちょっと負担が増した。
トイレ掃除は交代制。だけど、1人暮らしの時よりも気を使って掃除をするようになったから、ちょっと負担が増した。
料理も、自分で食べる分は自分で作るようになった。食べるのも自分1人だけ。
この時点で、1人暮らしの時と変わらない。なんなら、負担が増した。

極めつけは、平日1人で過ごす時間の方が多くなりそうなこと。

あれ?1人暮らしの時と時と全然変わらないじゃん。ほぼほぼ同じじゃん。
同じなら、1人暮らしに戻ってもいいだろうか?と思っちゃう。
2人で暮らす意味って何なんだろう?2人で生活する意義ってどこにあるんだろう?
2人暮らしの良いところって何なんだ?

 

が、残業をするなと言いたいわけじゃない。毎日早く帰ってこいと言いたいわけじゃない。むしろ、あんまり早く帰ってこられると、1人の時間がなくなってしまうから困る。けど、1人の時間が多すぎると、一緒にいる意味ないじゃんって思っちゃう。匙加減が自分の中でも難しい。

 

今考えつく2人暮らしの良いところ。
めんどくさくても、その日のうちにお風呂に入るようになった。体重計が新しくなった。ベッドが新しくなった。そんなところかな。
でも、1人暮らしでもお風呂にはきちんと入っていたし、体重計とベッドは1人暮らしになったら私が引き取ればいい。
・・・良いところがない。

あと1週間もない

新婚生活がバラ色だなんて誰が決めたんだろう。
昨日まで赤の他人同士だった2人が一緒に暮らすわけじゃん。物の見方、価値観、その他諸々が違う2人が一緒に暮らすわけじゃん。どこに上手くいく保証があるんだろう。

「新婚がいちばん楽しい時」なんて言われるけど、私はそうは思えない。現実を見すぎだろうか。不安しかない。東カレ小説の読みすぎだろうか。

なんで結婚したら一緒に生活しないといけないんだろう。憲法民法に書いてあるんだっけ?結婚したら名字を変えないといけないのも不思議だけど、一緒に生活しないといけないのもまた不思議。
一生1人でいるのはなぁ・・・という思いがあるから、隣にいる人が存在するのは心強い。けど、一緒に暮らすことまでは求めていないというか。(そもそも法律でぎちぎちに縛られた関係まで求めていないというか。)週末婚は最高だと思う。

一緒に暮らしだしたら、「粗」が目に付くんだろうな。「自分はそうしないのに」というやつ。「あぁ、もうそこはこうしてほしいのに」というやつ。「1人だったらこんなことで悩まなくていいのに」というやつ。
今まで自由にノビノビとできていたことを、半分我慢しないといけない。相手がいるから、半分気を使わないといけない。

気を付けて自分の状態に目を配っていないと、また隘路にはまり込んでしまうパターンだな。自分の価値観ばかりを相手に押し付けてしまうやつ。細かいルールをたくさん作って、なんとか自分の思うとおりにしようとするかもしれない。でも、細かいルールを作れば作るほど、自分の首を絞めていくことになるんだろう。

今、先のことを考えて「キーッ!!」と余裕がなくなっているのは、2人暮らしが上手くいくか不安だから。あと、1人暮らしの快適さを捨てることへの反発と。・・・未来のことを今から考えても、何かをできるわけではないから、それは考えるのをやめよう。

結婚したことが、結婚生活が上手くいくことの証明にはならないんだと思う。
「今がいちばん楽しい時でしょう?」と聞かれても、私は曖昧に濁すだけだろう。
やっぱり待ち受けているものはバラ色には見えないや。どっちにも転びそうな灰色かな。