仕事観

私にとって仕事とは、お金を稼ぐための手段。

「仕事にやりがいを求める」とか「仕事を通して社会の役に立つ」とか「仕事をした結果人から感謝される」とか。よくもまぁ、今まできれいな言葉で仕事を飾り付けてきたよなぁ。その「きれいな言葉」で飾り付けられた仕事は、「虚」の仕事観だったんだ。自分はお金に執着しない高尚な人間である、って自分で思い込もうとしてた。

違う違う。私にとって仕事は「お金」を稼ぐための手段。それは変わらない。それが私の仕事観の基礎、土台。仕事をしてく中で、社会の役に立てたり、人から感謝されたらラッキーぐらい。

だから、今の仕事に固執する理由なんてないよね。正直、割りに合わないよね。
それでも私が今の仕事を辞められない理由ってなんだ。
・身分(毎月決まった額のお金をもらえる、社会保険が保証されてる、貯金ができる)
・年齢(この年で仕事辞めて次の働き口があるのか)
・タイミング(コロナがどうなるかわからない)

今、このタイミングで辞めていいのだろうか。わからない。
辞めるって宣言してから、実際どれぐらいで辞められるんだろう。

自分の仕事のことになると、自分が全然わからなくなる。

山に登る理由

私が山に登る理由。

 

趣味で登山をしています。山に登るのは楽しくて、山登りを再開して7年目ぐらいになるのかな。大体月1回のペースで登ってます。夏はアルプスなどに遠征に行ってます。

 

なんで私は山に登るのか?その問いに、明確な答えがあったわけではありません。なんとなく、楽しいから、好きだから・・・

 

私は山に生きにきている、それが山に登る理由なんじゃないかって思い当たりました。山に登るってとてもシンプル。必要な荷物を背負って歩き続けるだけ。歩く、歩く、歩く、たまに休む。余計なものが削ぎ落とされていって、「わたし」しか残らなくなる。だから、私は生きているんだってことがより実感できる。

それから、山に登るのは人生に似てるとも思います。前に進んでもいいし、後ろに戻ってもいい。ただ、歩くのを止めるのだけはダメ。一緒に行く人は励みにもなるし、時には助けてもくれる。でも、私が歩き続けることだけは、自分でどうにかしなければならない。それが山登りだと思っています。
人生もそうじゃないでしょうか。自分の人生は自分で歩かなければならない。疲れたら休憩すればいいけれど、歩くのを辞めてしまうのは自分の人生を生きることを放棄したことになる。周りの人は応援してくれるけど、私が歩くことまでは助けられない。
山に登ることで、人生とは何ぞやってのを体感しにも行っているのかもしれません。

興味がある方はぜひ。

夢や目標について思ったこと。

 

①私は、自分の夢や目標を人に言えない。なぜなら、それが叶わなかった時に恥ずかしいから。だから「プログラミングを学んで転職したい」という目標も、誰にも言えてない。自分の中で叶うかどうか自信がないし、「文系なのに本当にできるの?無茶じゃない?」なんて思われたり言われたりするのが恥ずかしいから。
自分の夢や目標を、他人に言える人は強いと思う。

 

②夢や目標の進み方は人それぞれだから、他人がとやかく言う筋合いはないということ。
「私は自分の夢や目標に向かってこういうふうに行動します。だから、あなたもそうした方がいい」は、自分の価値観の押し付け。あくまでそれは私のやり方であって、他人に強制するものじゃないんだよね。
だから、誰かの夢や目標を聞いたときに、素直に「応援するよ」とか「何があっても味方だよ」って言えたらいいのに。でも実際は、「あなたのやり方は本気じゃない」とか「それで本当に叶うと思ってるの?」とか「それじゃ無理だよね」とか、否定の言葉が先に出てきちゃう。本当は、その挑戦をリスペクトしたいのに。
話をさえぎらずに最後まで聞いて、受け止めることのなんと難しいことか。

 

自分のことは話さない代わりに、他人のことは批評するって、最悪だな、私。

プログラミングを学ぼうと思った訳

プログラミングを学ぼうと思った訳。
長い長い紆余曲折を経て、ここまで辿り着きました。話せば長くなりますが、順を追って書いてみようと思います。

 

私は、「実家には戻らない」と思って、県外の大学に進学し、そのまま就職しました。

社会人生活を始めて6年目、30歳を目前にして「やっぱり実家に戻ろう」と思いました。きっかけは、家族の健康問題です。自分の親が体調を崩した時に、やっぱり近くにいた方が何かと都合が良いだろうと思ったからです。

「実家に戻るんだったら転職だ」。転職先は今と同じ職を選びました。他にやりたいことも見当たらなかったし、私はその職以外知らなかったからです。
転職に向けて試験勉強を始めました。勉強を始めて1年弱、そろそろ試験本番が見えてくる頃だという時に「結婚」の話が飛び出しました。
「まさかこの私が結婚!?」と思いましたが、最終的には結婚を選びました。(結婚生活、一度体験してみたいじゃないですか。)

そういう訳で、実家に戻る話は、自分の中で終わりになりました。ただ、「今の会社を辞めて、転職をしたい」という思いは残りました。なぜなら、今の仕事にやりがいを見出せなくなっていたからです。
たくさんの時間をかけて仕事を片付けます。仕事が終わった瞬間は達成感に溢れています。しかし、後で冷静になって考えると「この仕事をしたところで、一体何がどう変わるのだろう?何かの役に立っているのだろうか?」という虚無感を感じることが多々ありました。

そのため、転職活動を続けることにしました。転職サイトに登録し、自分のやりたいことを探す日々が始まりました。この時30歳です。
さて困ったのが、「人の役に立つ仕事がしたい」という思いはあるものの、具体的なビジョンがなかったことです。それから、今の職の特殊性から、転職市場での自分の価値がとても低いというのも思い知らされました。「社会人生活7年やってきたけれど、私何のスキルも持ってないじゃん!」と愕然としました。
モンモンとしながら転職活動を続けていましたが、あるキャリアアドバイザーさんとの面談で、私は「損得感情なしに誰かの役に立ちたい」ということがわかりました。「これなら今の会社でも叶えられるじゃないか」となり、転職活動は終了になりました。

転職活動終了から2年、大禍なく過ごしていました。動きがあったのは、去年の4月です。人事異動で、大変ヘビーな部署に異動になりました。誰かに異動先を話したら、9割の人が同情してくれる、そんな部署です。
案の定、ストレスで体調を崩しました。そこで思ったのが「今の仕事は、身体をボロボロにしてまでも続ける価値があるのだろうか」ということです。答えは「ノー」でした。

そこからまた自分のやりたいこと探しが始まりました。ただし、今回は他人の力も借りてです。安くないお金を払って、アドバイザーさんと一緒に、自分を掘って掘って掘りまくりました。
やりたいことの答えは、ポンと出てきました。「何の制約もなかったとして、やりたいことは何か?」という質問に、私は「実家に帰る(家の畑で野菜を作る)」と答えました。その瞬間、自分の中で一本の線が繋がったように思えました。「あぁ、私の進む道はこれだ」って。

結局、一番最初の話に戻ってしまいました。一度は自分の中で終わりにした「実家に帰る」ということ。でも、「実家に帰りたい」という気持ちはずっと自分の中で燻っていたようです。

「実家に帰る」という目標が決まれば、後は逆算です。
・結婚をして今住んでる場所に拠点を作ってしまったので、実家に「移住する」というのは難しい。
・今の場所でも生活しつつ、実家にも拠点がある、いわゆる2拠点生活がしたい。
・そのためには、場所に囚われずにできる仕事に変える必要がある。
・エンジニアだ!
という流れで、プログラミングを学ぼうと思い立ちました。
(付け加えると、「プログラミング」という言葉を聞く機会が増えたので、何となく興味があった。転職活動時の経験から、手に職をつけたいという思いがあった。今の会社を定年まで勤め上げて退職したら、確実に世間に取り残されているだろう、という焦りがあった。という理由もあります。)

 

未経験でどれだけできるのだろうかとか、本当に転職できるのだろうかとか、勉強していると不安がとてもたくさん出てきます。
そういう時は「なるようになる」精神で、目の前のことを一つずつ片付けていこうと思います。

お姫様と関わる→私が傷つく→気が重い

氷の女帝じゃなくて、お姫様なんじゃないかと思うようになってきた。とびきりワガママなお姫様。
朝はテンションが低い。それに、機嫌が悪い。午前中に話しかけるのは、とびきり勇気がいる。午前中に仕事の話を持っていける人は、猛者だと思う。だって、返ってくるのは、不機嫌と嫌味のオンパレードだから。
自分のタイミングが悪い時に話しかけられても、機嫌が悪くなる。
自分と同じ地位か、上の地位の人にはそんなことない。機嫌よく接してる。でも私は下っ端だから、常に機嫌よく接してもらえるわけじゃない。だから、姫のなるべく機嫌の良い時を見計らって、仕事の話を持ってくしかない。だって、機嫌を損ねて怒られたくないもん。不機嫌と嫌味のオンパレードで、自分が傷つきたくないもん。

息をひそめて姫のご機嫌をうかがって、うかがって、今だ!というタイミングで話しかける。仕事が進まない。思うに、この1年を通して1回も姫から怒られないなんてことはないから、それなら、早く怒られて慣れといた方がいいんじゃないか、と思う。

 

「あとはよろしく」と言って残された仕事が大変な地雷を抱えていた場合、どう対処すればよいのか。前任者を恨んで文句を言っても構わないですよね?
「なぜ私がこの仕事をしないといけないのか。そもそも問題は去年起こっているんだから、その問題は貴女が片づけておくべきでしたよね?」
一番の問題は、前任者が私の目の前に座っているということ。「私、問題が起こった場にいなかったんですけど。貴女いましたよね?それをなぜ、貴女じゃなくて私がやらないといけないのか。」締め切りは刻刻と迫ってくる。一言「知るか」と言いたい。
あと、係長には「あんた、自分でももっと考えてよ」と言いたい。「そもそも係長がやるような仕事を私やってんだし。もっと我が事と思って考えろよ」と言いたい。

アポイント取らないといけないし、やっかいな振り返りの締め切りはやってくるし。
「なんで私ばっかり」係長を巻き込んで、8割ぐらいは背負ってもらわないと気が済まない。

もう、医療従事者全員表彰すればいいじゃん。

振り返り

自分が感じていることを言葉にして書かないことには始まらない。どんなに嫌な気分になるのものでも、面倒がらずに。

本格的に仕事をしなければならなくなって、接触する機会が増えてしまった。というか、嫌でも接触しないといけなくなってしまった。ラスボスと女帝に。その気持ちを割合で示すと、人間性が嫌だから話しかけたくないのが50%(怒られる、気分の良くない対応をされる)、初めてのことでどうなるかわからない未知の怖さ40%、どうせすんなりといかずにめんどくさい返しがあるから嫌だ10%、というところだ。
今思いつくだけで、表彰式の挨拶回り・審査会、(めんどくさい)PDCAの評価書、要望書、、、

考えただけで気分が重くなってくる時は、水中に顔をつけている状態だ。息をするのに必死で、周りの世界が見えてない。水の中しか見えてない。今までの私は、1度水に顔をつけたら2度とあげられなかった。(だから、しんどくなってた)
最近少し成長して、重くなっていく気分をどうにかひっくり返そうともがいている。つまり、顔が水につかってるなぁと思ったら、あげるようにする。深刻に考えない、私は100%仕事でできてるわけじゃないから、失敗したって構わない、楽しむって。
落ちていく気持ちとそれを止めようとする気持ちのせめぎあいが続いてる。心が黒くなりそうだったら、白にひっくり返そうともがいてる。まだ、落ちていく気持ちに負けることが多いけど、抗おうとするようになったのは自分の成長。

3ヶ月過ごして、女帝は理不尽に怒るわけではないんだ、ということを信じてみようかという気になってきた。とりあえず、何か理由があって怒っているし、何か理由があって不機嫌になっていると。常に当たりがキツイわけではないと。不機嫌になる確率の方が高いな。(だから機嫌が悪い時に話しかけるとご愁傷様。)
機嫌の良さは5段階あると思う。「5」が最高に機嫌が良い、「3」は普通(普通といっても、一般的な人と比べたら、だいぶ素っ気ない対応)、「1」は最低中の最低。リザードが吹き荒れている。わかったのは、「5」と「4」を求めてはダメなんだ、ということ。「3」が通常運転。「5」「4」を求めて「3」をされるから、嫌な気分になるんだ。
ただ、他の人が怒られてるとか不機嫌な対応をされてるとか、そういう場面に出くわすのは慣れない。こっちまで心がキュッとして、胃もキュッとなってくる。
ラスボスは、「いやいや、貴方様の思考スピードに誰もがついていけるわけじゃありませんから」。なんなら「伝わらない話し方しかできないんですか、トップのくせに」。
『相性がよい上司なんていないらしい。そもそも会社は感情的な結びつきをベースに集まった集団じゃないから、「相性」の問題を持ち出すこと自体がふさわしくないそうだ。だから、上司を「人」ではなく会社の「機関」と見る。「人」だと思うから、相性が合わないと、「ネガティブ感情」に苦しめられる、そうだ。』

仕事はRPG。そうやって考えて、今の環境を楽しんで考えられるようにしたい。そのためには、このブログに改良の余地がある。
今まで思ってきたことをつらつらと書いてきた。それは剥き出しの私の感情。それをストレートに表現するんじゃなくて、手を加えて、他の人が読んでも面白く読めれるようにしたい。(今の記事は、重たすぎて読めないと思う。書き手の私もあまり読みたくない。)その過程で、黒くなった心を白くできるんじゃないかなぁ。
全ては、私の心と体の健康のために。1年後、無事に生きていられるように。

清書する

私も私以外の人も同じ時間を生きている。でも。私は気分が落ちて落ちてしんどいのに対して、あの人は毎日さわやかでそんな暗い思いに囚われてなさそう。あるいは、あの子は毎日笑顔で、なんだかやっぱり毎日楽しそうに見える。
同じ時間をどう過ごすのか。沈んだ気分で鬱々と過ごすのか、楽しく過ごそうと努力してみるのか。どうせ与えられる時間がみんな同じなら、私は笑顔で楽しく過ごしたい。

楽しい気分でいるために、口角を上げる。毎日マスクだから、他人の目も気にならない。

私がそこまで気を遣う必要があるのか。勝手に消耗してるけど、その消耗は果たして必要なのか。いらない消耗じゃないか。